※今回の記事とは関係ありませんが、1つお知らせ※
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※本題です※
今日は、かなりプライベートな話です、すみません。ノウハウはありません。
センシティブな内容なので、期間限定にするかも。
私にとっては大事なことだったので、今の活動方針にガラッと変わったきっかけについて、書きたいと思います。
最後に決意表明的な部分もあるので、興味のある方はどうぞ〜。
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突然だが、中学3年生の時、両親が離婚した。それまでの間、私の家庭は機能不全家族だった。
中3で家を出た時、心の底から
「これで普通の家庭になれるんだ…」
と安堵したことを覚えている。
あれから27年が経った。あっという間だった。
そしてついに、今年の1月、生き別れ状態だった父に再会した。
父は統合失調症を患い、今は精神病院に入院している。
父は昔から、優しい人だった。
だからこそ、父自身の親――つまり私にとっての祖父母――によって、少しずつ心を削られてしまったのではないか。
私は大人になり、ようやくそのことに気づいた。
「毒親」なんて言葉がなかった、あの時代。
祖父母の気性の激しさは、今考えると、まさに独親だったんじゃないかと思う。
だから両親は離婚したし、父は心を病んでしまった。
父に会いに行くようになって、もうひとつ知ったことがある。
一つ年上の姉が毎週、土日になると欠かさず父の面会に通っているということだ。
姉と私は、20代を最後に、ほとんど交流を持たなくなっていた。
姉は、小さい頃から素直で、童顔で、いわゆる愛されキャラタイプ。
でも、トラブルメーカーでもあった。小学校の頃から、友達関係のトラブルをよく起こしていた。
いじめの標的になったこともあれば、いじめられている子にわざわざ近づいていく――助けるわけでもなく、ただかき回すような。そういうところがあった。
母は何度も学校に呼び出されていたし、その頃、家族はみんな、「姉はかわいそう。守らなきゃ」と思っていた。
持病もあり、半年くらい入院していたこともある。
そうやって大事にされて育った姉だが、中学に入ったら、不良グループとつるむようになった。
高校はすぐに中退してしまった。これも、友人関係でトラブルを起こしてのことだった。
それでも、基本的に明るくて、素直な性格だった。
わがままで気性が荒いところも、20代前半頃までは、「ギャルの延長」みたいなものだと思っていた。
でも、よく考えれば、昔から特性があったり、精神疾患があったのかもしれない。
姉自身、祖父・祖母から受け継いだように感情の起伏が激しく、暴言を吐き、時には手も出てしまうところがあった。
そういうところは、本当に嫌いだったし、「なんでそんな(性格)なの!!?」と、本人に対して何度も言ったことがある。
姉は自由奔放に生きてきて、二十歳で結婚し、出産後、すぐに離婚。
一人息子(私にとっての甥)に対しても放任というか、ネグレクト気味だった。結局、甥は姉の元夫のもとへ引き取られていった。
そんな姉とふたりで父の面会へ行って、正直「やばい」と思ったことがあった。
それは父の言動ではなく、姉の言動だった。姉は父に近況を話しながら、こう言った。
「アイツに取り憑かれている。監視されている」と。
その言葉を聞いた瞬間、「あ、ここまで悪くなっていたんだ」と思った。
そして、こう思った。
これから私は、父と、姉の面倒を見ていかなければならない。
これは、二人をずっと放置していた、私の償いなのだと。
姉は、20年ほど前からパニック障害、10年ほど前から解離性障害のようなものを発症している。
プライバシーもあるので詳しくは書けないが、姉はとある事件の被害者になっているので、それが原因の一つだと思う。
加えて重度のクローン病で、大腸のほとんどを切除している。(ちなみに私も同じ病気だが、とても軽度)
発想も言動も子どもっぽいことがあり、他にもなにか特性があるんじゃないか、と最近になって思うようになった。
それでも今は、介護士として働き、自分の力で生きている。それ自体、すごいことだと思う。
でも、「自分の力だけでは生きられなくなる日」は、やってくる。
「いつか来るかもしれない」ではなく、「必ず来る」。
それが50代なのか、60代なのかはわからない。
だからこそ、その日が来たとき、すぐに手を差し伸べられる自分でいたい。そのときになってから準備を始めるのでは、遅い。
実は、私は一度姉を見放したことがある。
姉が、彼女の息子をネグレクトして捨て、一人暮らしを始めた頃。
「お金がなくて助けて欲しい」と言ってきたことがあった。
でも、その頃の私は、何度かお金を貸したことがあったし、昔は姉からお金を盗られたこともあったし、私の私物を売られていたこともあったりして、姉にはよくない感情を持っていた。
私自身も給料が低い中、一人暮らししていたし、残業続きでボロボロだった。
そんな状態で、「どんな人も、這いつくばって頑張ってるよ!」と説教し、縁を切った。
姉は子どもを親戚中に預けてクラブで遊んだり、素行が悪そうな仲間と夜遊びしたり、かと思えば「病気が辛くて働けない」と騒ぎ、母に「なんで養ってくれないんだ!」と手を上げたり、とにかく許容できない行動をしていた。
もちろん、母はできる限りのサポートはしていた。でも、それを上回るほど、姉から攻撃を受けていた。
だから姉は、最終的には私からも母からも見放され、数年ほど、生活保護を受けて生活していたこともあった。
でも今思えば、全部、姉が持っている特性や持病のせいだったのかもしれない。
働けないほど辛い持病。息子を手放してしまった罪悪感。トラウマからくるパニック障害。
「自分には学歴がなくてどうやって働こう」という悩みや、「誰も味方がいない」という不安。
そんなものから来る、自暴自棄的な行動だったのかもしれない。
自分で感情処理できなくて、「なんで分かってくれないの!」と、家族にぶつける形になってしまったのではないか。感情のコントロールがうまくできない人なんて、世の中にたくさんいる。
登校拒否で、家でYouTubeだけは見れる、みたいな子がいたとしたら。
「お前、YouTubeは見れるくせに、なんで学校行かないんだよ!」のような感じで怒るみたいなことを、姉にやっていたのではないか。
もう、心も体もボロボロで、「それしか」できない人だっているんだよね。
「生きてるだけで偉い」。姉はずっと、その状態だったんじゃないか。
もっと気持ちに寄り添っていたら、とか。お金の応援だけでもやっていたら、とか。同居していたら、とか。
そしたら、甥は、姉(母親)と離れることなく、一緒に暮らせたのかなぁ……って。
あの頃の姉に対しても申し訳なく思っているが、それ以上に、幼くして母親に手を離されてしまった甥に対して、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
二人がいちばん辛い時に、何もしてあげられなかった。
・・・
出産後に、姉と連絡を取るようになり、たまに家に遊びに来てくれるようになった。姉は陰謀論信者で、スマホを持っていない。写真を撮られるのを極端に嫌がるので、最近の写真はこれだけ。話がどんどん通じなくなってきているので、そろそろカウンセリングなり入院なり、次のステップに進まなければと思う
私は、自分がわりと強い方の人間だと思う。
だからぶっちゃけると、「頑張れない側の人」の気持ちが、最近まであまりよく分からなかった。
それが、38歳で妊娠をした時、ひどい悪阻になり、はじめて「病人の気持ち」が分かるようになった。
頑張りたいのに、体が動かない。仕事をしなきゃいけないのに、眠くてたまらない。ご飯を食べたいのに、気持ち悪くて食べられない。
意思とは関係なく、できないこともあるんだということ。正論をぶつけるだけが、正しいわけじゃないということ。
「とにかく頑張れ」というじゃなく、ただただ寄り添うということが、人として、どんなに大事なことか。それがようやく分かったのだ。
私には夫がいて、子どもがいる。
正直いうと、3歳の育児で手がいっぱい。「命の母を飲むべきか…?」と思うほど、毎日キツくて、公園にすら連れて行ってあげられない日も多い。
そんな中、本業の締切に追われ、同時進行で副業もやっている。
優先順位をつけるなら、父や姉のことは後回しになる。というか、ほとんど何もしてあげられない。
それでも、二人のために、時間やお金を作る努力はしたい。もう、後悔したくないから。
そう思ったとき、気づいた。
私は「SNSに張り付いている場合じゃない」ってことに。
父や姉のために使える時間を、意識して作る仕組みを、生活の中に組み込まなければならないんだと、気づいた。
だから私は、今年の3月、このアカウントを立ち上げた。
元々は別の名前で発信をしていた。
XやThreadsに張り付いて、noteで少しばかりの収入も得ていた。そのままずっと「SNS集客」をフル稼働して、副業をしていくつもりだった。
でも、父や姉の今後を背負っていくと決めた時、気づいた。自分がやっている発信スタイルは、時間をかなり消耗するやり方なんだと。
誰かの投稿を追いかける時間。交流に時間を割くこと。
時間はそんなことに使うのではなく、姉が取り憑かれているという「ヤマノ(仮)」の話をもっと聞き出さなきゃいけないし、「ジャリンコちえ」が読みたいという父のために、古本屋に走らなければいけない。
時間は、命そのものだ。
誰と、何に、その時間を使うのか。
それを本気で選び直さなければ、気づいたときには、もう取り返しがつかない。
だから私は、地上の激しいSNS社会で、競争することをやめた。
人と比べ、SNSに張り付く時間があるなら、その時間で、唯一無二のコンセプトを、自分の手で作り上げよう。そう腹を括った。
そして一度、SNSから離れた。3か月間、ただひたすらリサーチをした。既にあるコンテンツを片っ端から分析した。
誰かと同じ土俵で戦うためではない。違う場所に立つためだ。
これは、私だけの話で終わらせたくない。あなたにも、時間を無駄にしてほしくない。
時間は、あなたの命そのものだから。
時間は、二度と戻ってこない。
私が父と姉を前にして思い知ったように、いつか必ず、「あの時間を、大切な人のために使えばよかった」と思う日が来る。
その日が来る前に、気づいてほしい。
だから私は、サブスタを選んだ。サブスタだけじゃない。去年から、メルマガも本格的に取り組んでいる。
ローンチを覚え、ステップメールを1年かけて覚えた。会員サイトも作った。そのおかげで、先月、副業月収が本業を超えた。
フォロワー数やアルゴリズムに振り回される場所ではなく、読んでくれる人とつながり続けられる場所を選んだからだ。
そして今日、この記事を書いたこの日を最後に、XとThreads、ほかのSNSの発信を一旦休むことにする。
これから書く記事は、その場で消費されて終わるものにはしたくない。
積み上がる資産として、一つひとつ丁寧に作っていく。
そしてその過程を、あなたに伝えたい。
誰かと競争するためではなく、本当に届けたい人へ、本当に届けたいものを届けるために。
そのやり方を、この「地中の会」で発信していく。
あなたも、あなたの時間を、どうか大切にしてほしい。
時間は命だ。私は、そのことを伝えるために、これから書き続けていく。
ちなみに、父も姉も、インターネットから遠く離れている存在なので、この記事を読むことはありません。また、この記事を読んで、父や姉を特定できる人はいません。
姉には友人がいません。父も長いこと人と交友関係を築いていません。そんな「知られざる人」が、社会にはたくさんいます。
そういう人を支えていくのは、やっぱり身近な人間しかいない。私みたいな立場の人は、意外と社会にたくさんいるんじゃないかと思います。
そんな人のためにも、発信していきます。
自分の資産になることだけに集中し、大切な人をきちんと大切にするための「時間」を確保しながら、生き延びていきましょう🔥
今回は、ちょっと重い話になってすみません。
でも、私の情報発信の根っこになっている部分なので、文章化しておこうと、今回書いてみました。
そして、前回書いた記事のように、サブスタは「積み上がるSNS」だと確信したので、次の記事ではもっと深く、サブスタについて考察していきます。
前回記事▶︎Substackは「SNS」……じゃないッ!
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もぐらさん、初めまして!
もぐらさんの記事を読ませていただき、“なんとなくで時間を過ごしていないか?"ハッとしました。
大切にしたいことは、自分で時間を作らないと大切にできない。
“誰と、何に時間を使うか”を考え、選択していきたいと思いました。
もぐらさん、はじめまして^^
悪阻になり、はじめて「病人の気持ち」が分かるようになった。
父、姉のために時間とお金を作りたい。
ごめんなさい、この文を読みまして、どうしても釈然としない気持ちがわいてしまいました。
それは、ご自分とご自分の家族のこと。
父も姉も大事、それよりもご主人とお子さんの事を第一に考えるべきなのかなと、勝手ながら思ってしまいました。
ご主人さまとの共通認識であれば良いのですが。
私の母も統合失調症を患っていたため(一応寛解している)、家族の気持ちも分かっているつもりです。どうにかしてあげたいという気持ちも本心、そして負担が増える事も事実です。
その間でもぐらさん、そしてもぐらさんのご家族が疲弊しないことを祈ります。
勝手な文章で申し訳ありません💦